千住真理子

「バイオリンを生涯やめる」。母に胸の内を語ったとき、母は共に泣いてくれた。「あなたにつらい想いをさせるためにバイオリンをさせたんじゃない」。しかしバイオリンを辞めた途端、私の人生はさらにつらくなっていった。濁流の下にまだ深い谷があったのだ。いったい私はどこまで堕ちていくんだ? 思えば2歳からはじめた大好きなバイオリン、嫌いになって辞めたわけではないから、音楽が体から抜けることがない。四六時中バイオリン中心に夢中で過ごしてきた私から音楽を取り除くことは、身を剥ぐような耐え難い痛みだった。そんな私を救ってくれたのは一本の電話だった。 「ホスピスの患者さんの最期の夢をかなえる団体」と名乗ったその電話で、千住真理子に会いたいという患者さんがいることを伝えられた。 私は弾かなくなった楽器を手にホスピスに向かった。だが数ケ月も弾いていないので弾けない。散々な演奏にもその方は「ありがとう」と、痩せ細った手をわたしに伸ばしてきた。握手をしながらその方の目を見ると透き通った瞳がにじんだ。 「ありがとう」という言葉が胸に突き刺さり、後悔の念が深まる。と同時にその言葉が私の心を救った。 こんな私でも! 貴方の大切な最後の時間を、私のどうしようもない音が汚してしまったのに。私は心の底でわびながら、家に帰るとがむしゃらにバイオリンを弾いた。 1週間後その方は亡くなった。取り返しのつかない後悔が私をボランティア活動に駆り立てた。